| 2003年4月 インド旅行 | |||
| プロローグとソウル(このページ) | |||
| デリー初日 | |||
| アグラ前半 | |||
プロローグとソウル
| 旅のきっかけとソウル 2003年の4月、取り損ねた冬休みを使ってインドへ行くことにした。インドは去年の冬休みや夏休みにも行こうとして航空券の予約もしていたのだが、そのたびにインドとパキスタンの間の緊張が高まったりして渡航を断念していたのだ。あたかもインドへ来るにはまだ修行が足りないとの天の思し召しがあったようだった。が、今回は幸い両国の関係は安定しているようで決行することにした。 インドに行きたいと思ったのは、いままで色々な国に行ってみたが、インドはまだ自分が未経験のエリアのうち、一つの「世界」と呼べる深さと広がりを持っていること、中国に続き、経済発展へ向けて離陸できるかという段階に有りどんな感じか見てみたいなどの理由からである。 しかしインドについてガイドブックやら人の話やらホームページなどで情報を集めるに従い、必ず騙されたとか病気になったなどの話が出てくるので、正直な所、内心びびっていた。宮脇俊三著「インド鉄道紀行」でも宮脇氏が「いったきり帰ってこれないかもしれない」との心意気だったとあったが、私も遺書を書くまではいかなかったが、そんな悲壮感というか、なにか起きるかもしれないといった予感はした。 具合が悪いことに当時私がやっていた仕事をできる人は会社で二人しかないうえ、替わりにできるもう一人は、私が帰国の翌日入れ替わりで休みをとってしまう。従って仮に病気になっても這ってでも出てこなくてはいけない。ましてや飛行機が飛ばなかったなんてことになったら一大事である。というわけでなんとしてでも体調は崩すわけには行かない。事前に医務室で下痢止めの薬をもらったり、虫除けスプレーや蚊取り線香を準備した。 利用航空会社は韓国のアシアナ航空。デリーには週2便しか飛んでいないこともあり、エアーインディアの次に航空券が安かった。折角ソウル経由なので、ソウルの街にも出てみたいというわけで、単にデリーに行くなら成田-ソウル間は一日4便飛んでいるうちの午後の便でも十分間に合うところ、朝9:00発の一番目の便を選択。いつもの旅立ち通り徹夜明けの眠い目をこすりながら空港に向かったため、スカイライナーでは熟睡した。朝一ということと、もともと旅行シーズンではないうえイラク戦争、SARSの影響か空港は閑散としていた。SARSの影響でマスクをしている人が3割ほどいる。しかしチェックインを終え本屋をうろついただけのはずだったがなぜかギリギリ。思いっきり名前を呼ばれて走る羽目になってしまった。 成田離陸後九十九里に出たところでUターンし羽田上空、富士山を左手に見て日本海に抜けるソウルや北京に向かうときはおなじみのコース。機内食を平らげると睡魔に襲われ気が付くと着陸態勢。仁川国際空港はこの年の正月以来二回目だが使いやすい空港である。入国審査を経てバス乗り場へ。まず正月来たとき休館だった西大門刑務所資料館にリベンジすべくいくことにする。地下鉄3号線の 独立門駅駅前に有るのだが、独立門駅は前の道路を通るものの、バスは停まらないので3号線の前後の駅で降りて地下鉄で独立門駅に向かうこととする。 仁川国際空港は都心から離れているところに立地しているが、道がすいていて1時間かからず市内の北側のエリアに入る。バスは先述したとおり独立門の駅には本来停車しないのだが、乗るとき運転手に独立門にいくか?と聞いておいた所、独立門の駅前で臨時停車してくれた。この辺の融通を利かしてくれるのは有り難い。
西大門刑務所は日本支配下時代に主な政治犯が収容されていたことから、反日教育施設としての色彩が強い施設で拷問シーンを人形で再現したのが売りである。一通り「学習」したのだが、愛国教育で現地の国民学校の生徒たちが社会科見学で連れてこられている彼らは全く展示には興味を示さず素通りしていく。このあたりが現実というか、笛吹けど何とやらである。
遅い昼食をとり地下鉄3号線に乗ってオクスという駅へ向かう。ここで降りて漢江にかかる東湖大橋という橋を渡る。漢江はいままでに何度も鉄道では渡ったことは有るのだが、徒歩で渡ってその川幅を実感するのが長年の念願であった。周りに大きさを比較する対象がないだけに、実際渡ってみると、岸からの見た目や鉄道で渡ってみるより橋はずっと長かった。さすがに南京で渡ってみた長江大橋には負けるもののやはり大河であることを実感できた。因みに徒歩や自転車で橋を渡っている人には会わなかった。橋を渡り終わって川の水をさわりに岸辺に降りてみる。海とまではいかないが大きな湖のように、波が岸を洗っている。岸辺の土が動いたので驚いて見ると巨大なスッポンだった。 ![]() カンナムエリアの街並み 漢江を渡るとそこはカンナム(江南)と呼ばれるエリア。今回はスラッと通っただけだったが、ソウルの街は文化中心軸がどんどん南に移っていて明洞などの以前からの中心地が時代遅れになってきているということだけは実感できた。次回以降じっくりこちら側を歩いてみたいと思う。もっとも新しく開発されたエリアなので歴史的な街並などはないので、面白いかどうかは別だが・・・ 次にCOEXへ移動する。ここは箱崎のようなシティーエアターミナル、国際展示場や会議場、幾つもあるフードコートのような飲食店をはじめとした商店群、シネコンや水族館などこれ一つで街といった趣の施設。ここで昔中国に短期留学したとき一緒だった友達に仕事を抜け出してもらって会う。韓国人と結婚して当然韓国に住んでいる訳だが、周囲を韓国人に囲まれているというプレッシャーは相当なようだ。前日サッカーの日韓戦があったのだが、日本の勝利に溜飲の下げたとのこと。(因みに得点の入り方が自殺点のような形で、テレビは勿論町中が沈黙してしまったようだ) かき氷のお化けの「ビンス」をごちそうになりながらアパートの購入の仕組みや転職事情など色々興味深い話を聞いた。 ギリギリまで話をしてシティーエアターミナルから空港行きのリムジンに乗って空港に戻る。チェックインは成田でスルーで済ましてあるのであとは搭乗口へ直行するだけなのだが、セキュリティーチェックでデジカメ用の予備の電池が引っかかった。一見して軍関係者か情報機関の出身者と思われる、角刈りの眼光鋭く体格がよい責任者格の男に説明を受ける。機器にセットされいる電池は例外として電池は機内に持ち込めないという。機器にセットされている電池なら許されるなら、セットされてなくても同じ電池だからいいではないかと粘ったが、そうはまかり成らぬと押し問答。幸いもっと問題がありそうなものが出てきた乗客が現れたこともあり、粘った甲斐あって持っていってよいということに結局なったのだが、出発ギリギリ、名前を呼ばれて走る羽目に陥ってしまった。成田でもそうだったのだがそういうときに限って搭乗口はターミナルの端にあったりするので、巨大空港の規模の大きさに恨めしく思ったものだ。
デリー行きの飛行機はガラガラだったが、乗客はほとんどインド人で、いよいよインドに行くということを実感する。離陸後程なく夕食の機内食が配られる。機内食というのは特別食が先に配られ、その後に一般食というのが通常。さすが乗客のほとんどがインド人だけあって、この便ではほとんどが特別食(牛を使わないヒンズーミールやベジタリアンミール)で普通は乗客のうち特別食が少数派なのだが、この便では普通食の方が少数派なためなんだか取り残された感じがした。 飛行ルートは韓半島をいったん南下してから西へ進路を取り、上海から雲南省を経てミャンマー、バングラディッシュ領内を経てヒマラヤの南端に沿ってニューデリー・インディラガンジー国際空港に至るルートだった。昼間晴れていれば景色もいいのだろうがあいにく夜間のため何も見えない。従って機内食を平らげると睡魔に任せて寝るのみ。幸いアシアナ航空はシートピッチがいままで乗った中でも最も広い部類で楽に寝れる。約7時間のフライトだったが、感覚的には食事をして寝て目を覚ましたら到着といった感じである。日本・韓国とは3時間半の時差があり、到着は丁度デリー時間の深夜0時だった。 デリーのインディラガンジー国際空港は無骨というか、洗練されていないというか蛍光灯の配置本数が日本の1/3ほどのため暗く感じることもあって途上国にきたということを実感させてくれる。雰囲気的には一昔前の北京の空港のような感じだ。 SARSのおかげでまるでばい菌を扱うかのごとく入国者は扱われる。(あとでこの数日前にインドで初めてSARS患者が見つかったと知った)下手に咳やくしゃみをすると面倒なことになりそうな気配である。花粉症がまだ抜け切らなかったためくしゃみをすると、周囲の視線を集めてしまう。 入国審査は何事もないのだが一つ一つの動作がゆったりしていて、はやくもインド的ペースを体験することになる。埃だらけの到着ロビーで荷物を受け取り両替をする。100円が37.5ルピー、つまり1ルピー2.66円相当である。米ドルだと1ドル46.5ルピーと、手数料を勘案しても円を日本で米ドルキャッシュにに換えてから両替した方が円から直接両替するより1パーセントほど良かったが、とりあえず日本円を使う。20,000円両替すると50ルピー札の新券の札束一つと100ルピー札25枚がかえってきた。空港の銀行からして正直でなく(つまり少なくよこす)ちんたらしているとガイドブックに書いてあったが、そんなことは幸いなくスムーズに両替できた。 ロビーに出ると大勢の出迎えがいたが難なくホテルを予約するときに頼んでおいた出迎えサービスの人と落ち合うことができ、彼のボロ車でホテルに向かう。彼は翌日の観光やアグラ観光などで彼の車をチャーターしないかとしきりに勧め、日本人の推薦文を見せたが、一人で回りたいし、アグラへは列車を日本からインターネットで予約しておいたので断る。
夜のニューデリーの空気は意外にひんやりしている。街は暗く、あまり生活感は感じられない。大使館街を走っているといわれたが何も見えない。時折ロータリーがあるうえ道路は碁盤目ではなく自在に斜め方向にも伸びるので方向感も失われる。ホテルはコンノートプレースの北側にあるホテルフィフティーファイブというホテルである。フィフティーファイブとは妙な名前だが、住所が55番地だからという安易なネーミングだ。コンノートプレースとはガイドブックの言葉を借りれば、「一大商業地区であり街の中心として人々を集めてきた」と有ったので、いずれ暗い市街地から賑わう中心部にいつ入るのかと思ったら、いきなり車が停まりここだという。事前情報とのギャップにとまどうがチェックインして質素な部屋のベッドに入る。 |