平遥到着
平遥の狭い駅前広場より旧市街の中心地、市楼まで三輪車で行く。駅前広場からしばらくはなんの変哲もないほこりっぽい普通の中国の町だが、城壁をくぐって旧市街に入ると古い建物が並び、それっぽくなってくる。今日の宿は太原までの列車の中で一緒になったお医者さんに勧められた、市楼そばの「協同慶客桟」を太原から電話で予約しておいたのであるが、三輪車の運ちゃんは市楼に着いて、金を受け取ったにも関わらず、中まで付いて来て宿の人になんやらごねている。後で聞くと三輪車の運転手が客を連れてくるとコミッションが宿泊代の半分もらえることになっていて、当然宿泊客に転嫁されるので、電話で予約して自分の意志で来た方がよいとのことだった。
協同慶は清末に隆盛を誇った両替商である「票号」を利用した建物で、使者や賓客を泊めた宿泊施設をそのままホテルとして利用しており、なかなかいい雰囲気の宿だ。一応両替商の末裔のような商売をしている私にとって真っ先に行くべき所はその票号の博物館となっている「日升昌」である。(泊まっている協同慶自体も票号で、博物館も兼ねているのだが、じっくり見るのは明日にする)
中国人の団体客でごった返している日升昌に行くと入場料は80元という。思わず「高い!」と思ったがやむなく払う(後で平遥市内の観光スポット共通入場券であることが判明)。入って右手に窓口があり、その後方に金庫、文書室があり左手には番頭の部屋があり正面に主人の部屋および接客部屋がある。遠方への送金は今で言う送金小切手のようなものを利用していたらしい。そのためか文書の整理用の部屋が現物の部屋と同じくらい大きかった。建物自体は通路を兼ねている中庭を囲んでいる四合院を何組か組み合わせたものである。ただ中国全土は勿論日本にまで支店網を張り巡らした割には事務所としての規模は小さい。実際、実務も主に両替商業務担当と組織運営担当のわずか二人の番頭によって主に執り行われていたようである。
 |
昌 |
| 三輪車に揺られて旧市街へ |
旧市街のメインストリート。この通りは土産物等ツーリストゾーンに・・ |
 |
 |
| 票号(両替商)「日升昌」の窓口 |
日升昌の金庫。タンス状の箱に銀をしまっていたようです |
 |
 |
| 日升昌の中庭。 |
城壁の北門 |
城壁
日升昌を出て城壁に北門から登ってみる。中国語を習い始めたとき、教授に本来の中国の街を実感するためには城壁がある西安や南京を見るべきだと言われた。両都市とも行ってみたが街が大きすぎ、城壁も寸断されているので教授の言う意味は分からなかった。しかし、ここ平遥は大きさが手頃で城壁もきちんと残っていることもあり何となく都市の一体感だとか感じられる。京劇の演目に攻めてくる敵を目の前にして諸葛亮が城門を開けて虚勢を張ったというものがあるが、ここならその場面がイメージできそうだ。教授の言わんとしたかったことがそういうことだったのだろうと少し分かったような気がした。
城壁への登り口は東西南北の各門にあるので北門から東門まで歩くことにした。途中三輪車が何台か通り、日没になると門が閉まるから乗れよと言ってくる。しかし足元を見て25元だとかふっかけてくるので意地を張って歩き通すことにした。東門へは30分ほどかかったが日没で既に暗くなってきており、意地を張ったことを少し後悔。東門は地上に下りれる所が見つからず非常に焦るが、壁のわずかなスペースを利用して壁を上り下りする地元の子供に下りる場所を教えてもらって無事地上に下りることが出来た。
 |
 |
| 北門から城壁の外側を見る |
こちらは内側 |
 |
 |
| 四合院形式の家が軒を連ねる |
北門より夕日を望む |
 |
 |
| 北東の角楼 |
下りる場所を教えてくれた子供 |
 |
 |
| 平遥の子供。 |
夜の平遥。 |

|
平遥での夕食
名物らしい平遥牛肉(牛肉の薫製)、などを食べる。蒸籠に入っているのは「火+考」姥姥とかいう多分コウリャンかなにかの粉を蜂の巣状にくっつけて蒸したもの。 |
|